滋賀県租税教育推進連絡協議会賞
生活に実質的平等を
滋賀県立水口東高等学校 1年 李美稘
日本ではなぜ「中負担高福祉」で国の財政を運営しているのだろうか。私は日本もヨーロッパ諸国のように「高負担高福祉」で良いのではないかと多々考えることがある。なぜなら歳入と歳出の釣り合いが取れ、今の財政も安定するはずだ。また私は幼い頃、外国で暮したことがある。貧富の差が大きく、食事することも難しい人を見たことがある。そして都会と田舎は天と地ほどの差があった。それに比べれば日本はそれほど貧困の差は大きくはない。多数の人は安定した生活を送っていると思った。しかし、社会保障が整う一方で、何もせずとも国民や国を支える歳入が不足している。それに加えて新型コロナウイルスへの対応や年々増加する国債金などの歳出により財政が苦しくなる一方だ。だから税を上げるのも一つの解決法だと思う。
しかし、税に関連することを調べているうちに、目に留まる記事を見つけた。「子供の約7人に1人が相対的貧困に陥る」という記事だ。私は一瞬自分の目を疑った。周りにやせ細って、今にも飢え死にしそうな子見かけたことはない。それに7人に1人は決して少なくはない数だ。記事を読むと、「相対的貧困」とは世帯の所得の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態であり、4人世帯で約250万円以下で生活している世帯のことだ。子どもたちが学習を十分にできない、栄養のある食事が摂ることができない状態にあるということだ。
この現状で税を上げ、「高負担高福祉」に切り変えるとどうなる。家計の出費だけ増加し、保障の手厚さは大きく増減しない。反って多くの親や子どもたちの生活を苦しめることになる。それによって勉強する機会を失い、貧困からぬけられない負の連鎖を引き起こす可能性もある。相対的貧困に直面している人たちに構わず税を上げることはできない。しかし、国民の安心した生活を保障するためには安定した国の財政が不可欠だ。そのためにどうしても十分な歳入が必要である。
そこで私は、「実質的平等」を重視すべきと考えた。安定した財政のために税を上げる場合は、相対的貧困に直面している人や生活に苦しんでいる人に「標準的な生活」を保障する義務がある。例えば地域の農家と協力して食料を支援したり、文房具を配布したり、お金ではなく物資による助けも必要だと思う。教育費の無償化や地域での学習会も多くある中の一つの方法だ。すぐに実施できるものは少ないが、国民の生活を助ける以外にも、地域のコミュニティの場や地産地消にもつながり、多くの面で良い効果をもたらすだろう。
一方で税を一部分の人たちに使うのは不公平という人もいるだろう。だから「形式的平等」と「実質的平等」のバランスを重視し、日本に住むすべての人の生活を考えなければならない。そのためには多くの人が税に関心を持ち、使い道を自ら考える機会を作るのはよりよい日本への第一歩だと私は思う。







