- 2015/1/23
- 「税の使い道」阪東響子
滋賀県租税教育推進連絡協議会賞
税の使い道
滋賀県立長浜北高等学校 3年 阪東響子
「働かなくても暮らせます」
そんな一文が、新聞を読んでいる私の目に飛び込んできた。これは、名古屋市の建設会社が、勧誘したホームレスを無料低額宿泊所に住まわせ、生活保護費を一律管理しているという記事だ。
ホームレスは室内で暮らせるし、建設会社も利益を得る。結果的に国民が豊かになる。しかも、ホームレスと建設会社の双方の扶助になる。
私の住む市では、今年の四月より、0歳から中学生までの子ども達の通院費・入院費が無料になった。
私は小学五年生のとき、二週間以上熱が下がらず、咳も続いた。だが、私は長い間病院へ行かなかった。私は風邪だと思い、医療費をかけずに治したかったからだ。しかし、病院へ行ってはじめて、肺炎になっていると診断され、入院した。子ども達の通院費・入院費が無料になったことで、私がかかったものよりももっと深刻な病気にかかっている子どもが救われるかもしれない。小さな子どもはどんなに些細な身体的変化でも、重い病気になりかねない。だから、子どもの医療機関への受診の機会を増やすことは重要であると言える。ゆえに、この制度は、子どもやその家族の扶助になる。
二つの事例を挙げたが、両者にはどのような差異があるのだろうか。どちらも、国民の扶助となっている。しかし、前者は、建設会社がホームレスの生活保護費を管理する必要はないということが言える。生活保護費は生活困難な人々のために支給される。したがって、経済的に困窮していない建設会社にまで国民の税が回っていることはいわば「税の余剰」だ。これは税の使い方として間違っている。後者は、子ども達に医療を受ける機会を平等に与えることになる。それだけでなく、医療費が多額になった場合、子どもの家族にとって大きな援助になりうる。したがって、この税の使い道は道理的である。
税は、国民の扶助となるべきである。それは、経済的弱者への扶助だ。税によって平等でより豊かな国にする、という言葉を口先だけのものにしてはならない。そのためには、まず、国民一人ひとりが税の使い道を経済的弱者の視点から考えることが必要だ。そして、税の無駄遣いを減らし、本当に必要なことに使える税を増やさなければならない。
- 2015/1/23
- 「税に関心をもつこと」廣田裕季
滋賀県租税教育推進連絡協議会賞
税に関心をもつこと
滋賀県立河瀬高等学校 2年 廣田裕季
私たちの払っている税金は色々な用途で使われている。私たちの暮らしの為に使われていたり、国のために使われたりしているのがほとんどであるが、その他の用途で使われている税とは何か、ふと考えるときがあるのである。税金を不正につかったことが見つかってニュースに報道されるようなことが起こると非常に残念で憤りを感じる。でも、私たちはそんなときでしか税がどんな風に使われているのか、また正しく使う例を知ることができない。国民がもっと税金や政治に関心をもたないとそんなことがまかりとおってしまうようになるので気をつけなければならないと思うのである。驚いたことに税のつかわれ方に偏見をもっている人もいるようだ。私のおじは消防士なのだが消防署にきた人に、
「税金泥棒!」
と言われたという。公務員はみんなそうだと決めつけているのだ。私はその話を聞いたときショックを受けた。住民のためを思って活動しておられるのに、ひどいなと思った。確かに公務員は一般企業に比べて給料の変動はなく安定しているが、国のために働いている人たちなので私はそんな風には思わない。税のつかい方をよく知っていないがためにそういう事が起きているんだなと思うと残念であった。
税のことと言えば、消費税が五%から八%に上がったことが私たちの生活の中での大きな変化である。日本は外国に比べ税金が低い。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの付加価値税は二十五%ととても高い。しかし、福祉が充実している。日本も三国のように税を増やして福祉を充実させていく方向にもっていくと高齢化問題に対応できるのではないかと思う。今は実現は難しいかもしれないがこれから「高税金高福祉」の制度に変えていくべきだ。そして国民は選挙に積極的に参加したり政治について関心をもつなどして政府を監視していくことが大切だと思う。税に関心をもつということは政治にも関係し、とても意味のあることだと思うのである。
- 2015/1/23
- 「税について考える」三反崎隼人
滋賀県租税教育推進連絡協議会賞
税について考える
滋賀県立膳所高等学校 2年 三反崎隼人
税金なんていうものを払う必要が本当にあるか、と考えると、当然払う必要があります。しかし、私たちは税金をただの負担、ただの重圧と考えてしまうことも多く、ともすれば税金の恩恵をその身に受けていることも忘れてしまいがちです。全く違う話になりますが、例を挙げます。
私は毎朝、学校へ行くのに京阪電車を利用しています。この路線は、利用者の多い駅ではそんなことはないのですが、利用者の少ない駅となるとほとんどが無人駅で、その気になれば無賃乗車さえ出来てしまいます。でも誰もそうはしません。少なくとも大半の人は、きちんと代金を支払った上で電車に乗っているはずです。
なぜきちんと代金を払わなければいけないのか。一番の理由はもちろん、払わなければ犯罪になってしまうからです。今の社会では、法に触れたときのうまみよりも、そのあとの社会的な制裁のほうが怖ろしく思えます。しかし、私はあえて、二番目の理由のほうを推したいと思います。それは、代金を払わなければその路線自体が経営にゆきづまって、その路線を電車が走らなくなり、結果的に困るのは自分、という可能性もあるではないか、という考え方です。そもそも、自分が払うべき代金が何のために使われるのかといえば、その会社が運営を続けていくためではありませんか。払わないことを選ぶというのは、自分の首をしめることでもあります。私の場合、京阪電車が走らなくなったら、学校に辿りつけなくて困るのは私自身です。
当然のことですが、忘れがちなことです。この世の中には、自分のことばかり考えていても仕方ないことがあります。
そして、同じことが税という制度についてもいえます。払わなくて困るのは自分自身、というのは、集められた税金が公共事業などに使われたり、公共サービスを続けていくのに使われたりするのを考えればわかります。 税金というのは、他人のため、みんなのため、という要素も大きいですが、何より自分のためのものなのだと思います。

















